2012年09月19日

【投稿】福島原発告訴団・関東 入会説明会に参加して

 9月16日、品川で「福島原発告訴団・関東」の入会の説明会があり、参加してきました。
 すごく重要な闘いだと思いましたので、投稿します。(KM)

武藤さん2.jpg

 武藤類子さん

 今年3月、東京電力の福島原発事故の刑事責任をとらせるために、福島原発告訴団が結成され、6月11日福島地検に告訴されました。

 そして現在1324人の福島在住、福島から避難された方の告訴は、広瀬さんや他の告訴と同様に8月1日に受理された。

 なぜ、告訴に取り組んだか?
 間違いをあらためさせる、若い人こどもに対する大人の責任のとり方として、取り組んでいく。告訴にどんな意味があるのか、刑事罰を出して、責任を取ってもらいたいということ。福島が分断と対立が生まれているので、闘うべき相手が誰なのか、をハッキリさせたい。そして陳述書を書くことで、その行為を通して、被害の認識をして立ち上がる、おかしいことはおかしいと、そのことを伝えていこうという趣旨。

 6月に出された告訴団の声明にその思いはあふれ出ていいますので紹介します。

 「事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに声をあわせ怒りの声を上げました。
 告訴へと一歩踏み出すことはとても勇気のいることでした。
 人を罪に問うことは、私たち自身の生き方を問うものでもありました。
 しかし、この意味は深いと思うのです。
 ・この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと
 ・事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪を広げること
 ・傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと
 それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。
 声を出せない人々(亡くなった人など)や生き物たちとともに在りながら、世界を 変えるのは私たちひとりひとり。
 決して、バラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。(福島原発原告団、告訴声明 2012/6/11)」

 この福島の第一告訴団に続き、この原発事故の被害者は福島だけでなく、全国の人々も対象である、自分の問題として取り組んでほしいということで、告訴を呼びかけようと、現在全国10箇所で事務所が開かれ、10月15日までに1万人の入会の拡大を進めている。

 武藤さんも告訴告発ということは、どういうことか知らず、勉強会からはじめた。3月に告訴団結成をやり、6月までは、300人程度だったが、「知り合いに広げよう」という提案が功を奏し、1324人で福島地検に告発した。なぜ、福島地検にしたのかというと、線量の高い郡山市にあるので、そこで働く人々にも呼びかけるという意味合いからだそうだ。
 そして、この告訴団の説明に入る前に、武藤さんと森園さんから、福島の現状について提起があった。それは、新聞や、テレビで見聞きするよりも、厳しい現実と苦悩に満ちたものでした。

《武藤さん》スライドで映像をみせながら、
 @福島第一原発事故の現状について
  ・やはり4号機がどうなるのかということが一番の恐怖だと語っていた。
  今は、建物の上半分が撤去され、格納容器が丸見え、1300本以上のの使用済み燃   料がどうなるのか。
  ・1から3号機は、70シーベルト。人間は、7シーベルトで確実に死ぬ。これは、30年たっても35シーベルトにしかならない。生身の人間が決して入ることはできない。入るには300年かかる。
 A郡山駅東口のモニタリングポスト。
  0.98マイクロジーベルト/毎時
  除線をして、0.5マイクロになった。
  郡山の女子大は、6月の時点で0.6マイクロ。
 B被曝の問題
 政府は、事故の直後、情報隠し、「安全だ」そして今は「大丈夫だ」と言って回った。
年間被曝上限基準1ミリシーベルトが20ミリシーベルトにされた。文科省は、1ミリを目指すと言っただけで、20ミリは撤回していない。
 情報が隠されたため、3月11日から15日の間に、低い線量から高い線量の所に避難した人がいる。
 学校は春休みだったが、教育委員会の対応があいまいだったために、卒業式で、避難先から戻って被曝した子どももいた。
 安定ヨウ素剤は、70万人分用意されていたが、積極的に配られなかった。もらっても県や国の指示がないと飲めないと言われた。私の三春町では、町の3役と医者と看護師が夜を徹して話し合って、「40歳未満の人 に配る」と決めた。
 行政はことごとく手遅れだった。自らの判断ができないとダメだ、と思った。
 C除染
 莫大な予算。大成、鹿島などのビジネスになっている。
 そこで、家や職をうばられた人が、ぺらぺらのマスク、ゴムと布の手袋をひとづつ持たされ、1万円/1日。被曝させられている。
 除染をしてもなかなか先が見えない。
 川内村は、20キロ圏内。3千人の人口。一番先に帰村宣言した。除染がはじまり、8月に終わった家を見た。家の周りの5メートルは木などを切って、土は5センチはいで新しい土を入れた。玄関先で1.4マイクロ。その放射能のゴミは、家の前におかれ、4マイクロあった。それは、山の中の仮置き場に運ばれ、そして中間貯蔵施設、最終処分場へ。まだこれは決まってない。
 端の家から除染をはじめ、10軒目くらまでいくと1軒目の線量はもと に戻っている。
 井伊舘村は、除染に4億円、川内村は50億円かける。
 ガンマ線は100メートル飛ぶといわれ、雨は山から家へ、放射能を運ぶ。放射能は減らない。移っていくだけ。
 
D復興
 去年は外でやらなかった行事をやるようになった。鼓笛隊、幼児の夢マラソン、子ども祭り、ラーメン祭りなど。
 学校でも、外での活動の制限時間が解除された。
 プールサイドが0.6マイクロ以下なら使用できると、鉄板ならべたり、人工芝をしいたり。そこまでしてプールに入れた。
 子どもを使って、「もう事故は終わった」と宣伝をしている。去年の12月収束宣言をした。規制委員会では、緊急事態だからと任命しようとしている。
 被災者につけこむような形で、事故を風化させようとしている。福島は、大変な現実があります。

 《森園さんのお話》
 子どもの甲状腺がんの問題について。「癌」と診断された子どもがひとり出たのをうけて、すぐに申し入れ・質問状を提出した。
 ほんとに一人なのか、何歳なのか、と。すべてプライバシーにかかわると拒否。
チェルノブイルの経験上、年齢によって判断出来るといことがあるから。のう胞、しこりもどう対応していくのか、詳しく知ることができれば、疎開や食物をどうするかと対応ができるはずなのに。
 山下は、自分が出来なかった、チェルノブイリの事故直後の3〜4年間分のデータを集めようと思っているのではないか。
 告訴によって、捜査がはいって責任を追及する。
 健康に関しては、一分一秒を争う事態。大人が本気になってやらないといけ ない。ドイツでも脱原発まで5〜10〜20年かかったけど。国民がいろんなかたちで声をあげいった、その中に、2千以上の告訴告発があったと聞いた。
 郡山の自宅の近くの公園は、池の上澄みが、70万ベクレル。雨水が相当高いのではないかと思う。ベンチは4万ベクレル。高校生に公園で遊ばないよう、声をかけた。そしたら知らなかった、だれも教えてくれなかったと。声に出せない、ジレンマを抱えている。みんなお腹の中ではわかっている。責任を取らせたいと思っている。一歩を踏み出して、命をつなげていきたい。 

 正確に聞き取れていない部分もあると思いますが、出来る限りレポートしました。
 私としては、自分も被害者となって闘う主体としてハッキリさせるためにも、入会をしようと考えました。入会手続きは、簡単です。
 「福島原発告訴団・関東」http://dainiji-fukusimagenpatsu-kokusodan.blogspot.jp/をご覧ください。
 
 東京電力に責任を取らせるために! がんばりましょう!
武藤さん.jpg

 *集会の最後に、武藤さんの喫茶店の話がありました。

posted by 新橋アクション at 08:42| 東京 ☔| Comment(0) | 東電の責任 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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