2012年07月21日

722 「内部被爆を徹底糾明する集会」 お勧めです。

722.jpg


新橋アクションで講師をいていただいた柳沢裕子先生がコーディネートされます。
みなさん、ご参加を!
posted by 新橋アクション at 08:47| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

「原発はいらない」双葉町の標語

26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔
2012年7月18日 07時14分

2012071899071406.jpg

「破滅」と書かれた画用紙を看板の手前で掲げて、自ら25年前の標語を訂正した大沼勇治さん=福島県双葉町で

 「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
 大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
 大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
 しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。
 夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。
 大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)
(東京新聞)
posted by 新橋アクション at 17:22| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

【投稿】首相官邸前行動 

        首相官邸・国会議事堂前   NK

 私が小学校5年生だった1960年の6月15日は国会議事堂の周囲は日米安保条約に反対を訴える人々達に埋め尽くされたのは52年前だった。

 時は流れ、2012年6月29日(金)の夜は「大飯原発再稼働反対」「全原発を廃炉に!」を口々に訴える人々で首相官邸前は約20万人で埋め尽くされた。まして政権党である民主党の国会議員の中にも「大飯原発再稼働反対」を叫んでいる。

 それにもかかわらずに、再稼働を強行させる野田首相は人間としての良識が全く持ち合わせていない。大飯原発の再稼働を決定した野田首相に怒りをぶつけたい人々が、続々集まり、地下鉄・国会議事堂前の出口を出れば、人人人・・・の人間の海となって口々に「再稼働反対!」を叫び、それがうねりとなっていた。所属している組織などは全くない人たちが、只々危険な原発の再稼働を反対して集まっていた。

 手作りの再稼働反対のプラカードやドラや鈴などの鳴り物を持ち、また大小のスピーカーで「原発再稼働反対!」の意思表示をしていた。子供連れの家族をはじめ老若男女を問わず、このような大勢の人々が集まった現実を目のあたりを見て、民衆のエネルギーは崇高で偉大であることを実感した。

 前日の6月28日(木)には東京電力本社へ抗議のデモ(新橋アクション)に出かけたばかりだったので、翌日の首相官邸前での約20万の人々を見て、興奮し勇気づけられた。

IMG_3428s.jpg

〈6/28新橋アクション〉

s6IziNAd.jpg

〈6/29 20万集会〉
     ・・・・・
 6・29(金)の一週間後の7月6日(金)は地下鉄・国会議事堂前駅の改札口は大勢の人達でごった返しており、警備の警察官が規制にあたり、外に出るまで10分ほど待たされ、外に出てみれば小雨にもかかわらず、続々と人々が集結し首相官邸前には、またしても10万人を超える人々で埋め尽くされていた。

 デモの最後尾を目指して歩けば、歩道から溢れ出た人々が、国会議事堂の脇から長蛇の列となり最後尾は首相官邸前からどんどん離れていった。さらに国会正面横側からも離れてしまったが、口々に「再稼働反対!」は、誰からとなく発せられ、大きなうねりとなった。

 誰からも強制されるわけでもなく、参加している人々の反原発の強い意思を全く無視続ける野田首相に対しての怒りは深まるばかりだ。何と黒塗りの右翼の街宣車が我々の横を「原発反対!」を叫び、「原発反対!右派!」のステッカーが街宣車に貼ってあった。

 不思議なことがあるものだが、右翼からも原発反対を訴えているのが現実である。この声を無視することは絶対できないはずだ。

 「野田首相!あなたはこの人々の声を何と心得ているのか!あなたが選挙で得た得票数など問題にならないほど多いこの人々の数と声を!」 野田のような輩は絶対に次期選挙で落選させるのに限る。これが1票革命だ。選挙で落選すればただの人だ。落選した時の沈痛な表情を早く見たいもノダ。人々の声が選挙に反映し、悪い輩たちを落選させたいノダ!

s20120707a-2.jpg

〈7/6 15万人〉

 国会議事堂の前で、国会とは民衆の声を反映させるところだと、今更ながら強く思い、時は流れ、世の中が変わっても、民衆のエネルギーの底力は変わらないことを実感した。
                              2012・7・7(土)

 今日7/13首相官邸前(18:00〜20:00)、7/16代々木公園へ集まろう!

*投稿をお持ちしています。
posted by 新橋アクション at 07:53| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

【投稿】不死鳥の誓いを見て思った事 福井現地行動報告

不死鳥の誓いを見て思った事
 6月17日福井現地行動報告より                SG

 7月1日、大飯原発3号機が再稼働された。5月5日に原発ゼロが達成されてから2ヶ月弱の事だった。反対する人はどんどん増えている。野田政権と西川福井県知事は誰の方を向いて政治をやっている。民意を無視した原発再稼働に激しい怒りを覚える。

福井の復興のシンボル不死鳥
yfusicho121192.jpg

 福井市は戦中戦後と大きな災害に遭っていた。戦災・福井地震・台風による水害。
これを乗り越えて立派な市民憲章まで作った。1948年の福井地震は死者行方不明者3769名と戦後3番目の被害の地震だった。マグニチュード7・1の規模ながら直下で起こったために20万人の福井市の1%以上の被害を与えた。続けて市民を襲う戦災や災害に復興の機運は高まっていた事は想像できる。不死鳥の誓い(福井市市民憲章)ではこう謳われている。
 わたくしたちは不死鳥福井の市民であることに誇りと責任を感じ
不死鳥とよぶのは1952年にフェニックスをまつわる会議から採っている。

v2.jpg

1948年福井地震

 私はこれをみるきっかけになったのは、6月16日から17日にかけて経産省テントひろばが呼びかけた福井現地行動で集会場所の中央公園での事だった。
5月5日から続く原発稼動ゼロの流れに原発推進側が白羽の矢を立てた大飯3・4号機の再稼動反対集会で行ったわけだが、誇らしげに郷土の歴史をひけらかされているのを見ると、本当は嘘の繁栄で復興なんだという思いが沸々と沸いて出た。

 中央公園の横には鉄筋むき出しの工事現場。TVで観た福島原発の建屋を彷彿させる。アスベスト対策など全くやっていない。違う意味で健康被害は大丈夫かと思った。建物の解体工事は外側に飛散しないように作業するのが当たり前だと思っていたので安全基準が関西では無いのか心配になった。


 原発14基もあって非核安全都市宣言
20120221-1.jpg

 集会の参加者が口々におかしいと意見を言っていた非核安全都市宣言の碑。
非核と言えば三原則が有名だが、原子力と共存できるという考えには驚かされた。原爆は日本人にとってはダメだというメッセージが伝わりやすいが、核の平和利用というまやかしは結構欺されやすい。同じ核なのに「平和」とついただけで兵器から資源に変わってしまうのである。福井市でもこのロジックが使用された。このインチキを破らないと原発推進の論理に絡め取られてしまう。

 特に高速増殖炉もんじゅは1兆円を超える予算が消費された。おまけに整備新幹線まで付けてくれると言われて反対する権力者はいないと思う。お金で安全な暮らしを売り渡してしまう。平和な日本人的な発想だ。
ではこんな福井に誰がしたのか?その張本人が立派な銅像で飾ってあった。


原発銀座を誘致した熊谷太三郎福井市長
 戦後直ぐに福井市長に就任した熊谷太三郎(1906−92)は16年にわたり市政に携わった。その後昭和37年には参議院議員になり地元の発展に寄与した。
それだけならよくいる地元の名士であるが、熊谷は熊谷組二代目社長の顔も持っていた。高速増殖炉もんじゅを強力に推し進め、福井県に原発銀座を作り上げる事で熊谷組を準ゼネコンの位置まで高めた。

 公私共々原子力にどっぷり漬かった人物で、私は彼を「福井の原子力の父」と名付けた。自民党の参議院になってからは通産省に取り入り、福井県に原発銀座が出現する事になった。86歳で天寿をまっとうするまで原発一筋。福井では正力松太郎や田中角栄のような人物だろう。彼が描いた福井復興のプランは、現在福井県の幸福度が日本有数の数値を示している事で引き継がれている。

 でも福島県の実情を見た時に、本当に事故は起きないと言えるのか。野田首相は責任を取ると言っているが、個人で責任が取れる程原発事故は甘くない。それよりも何の対策を取らずに再稼働を認めてしまって怖くないのか不思議で仕方がない。


原発震災に耐えられるのか
 福井地震の時には無かった原発。今では14機もある。津波対策も甘く、ベント施設も無い。福島原発事故の際に活躍した免震事務棟も無い。事故が起きないから非難訓練も非難経路の確保も無い。それでも大飯3・4号機を動かそうという関西電力。

 住民の命など経済の前では軽視されてしまっている。野田首相が言う「停電(ブラックアウト)にならないための再稼動」など本当にまやかしだ。電気が止まっても放射能よりはましだ。不死鳥は一度は復活したが、原発震災の際に復活できるのか。

福井1.JPG
6/17福井集会

 福島県では原発がなければすぐに復興できたのにという声を聞く。全て放射能が人の力の終結を阻んでいる。今まで事故が起きていなかったからこれからも起きない。311前ならそんな嘘をついても騙される人もいたかも知れない。でも今は福島事故の収束もままならない状態での原発再稼動。常軌を逸している。

 福井県知事西川氏。今止めれば再び地震や津波が襲っても最低限の被害で食いとどめられる。再稼動中に地震が来たら目も当てられない。6月29日の首相官邸前に20万人集結して抗議した民意を聞いて欲しい。再び事故になっても誰も責任など取れはしない。

 大飯原発3号機(118万kw)が可動するに当たり関西電力は火力6機(300万kw)の運転を止めた。差し引きマイナス182万kw。それなのに関西の節電目標を15%から10%に落とした。簡単な算数が分かる人なら原発が無くても電気が足りているのは分かると思う。まさに茶番だ。関西電力の儲けのために日本国民の命が軽く見られている。本当に許せない事だ。福井県民も怒って欲しい。

 このまま福井地震が来たら不死鳥も復興出来ないと泣いていると思うのは私だけだろうか。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの次にフクイとならない事を願う。




posted by 新橋アクション at 22:06| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

大間原発反対現地闘争に参加して【投稿】

 6月14日から17日まで2泊3日の現地闘争に参加してきました。

 毎年4月に青森市で行われる4・9反核燃集会に参加できず、大間の集会に参加しないということは反原発・反核燃を闘っていますと言えなくなってしまうとの思いから、M氏にお願いをして参加しました。大間・六ケ所というところは1人だけで参加することは経済的にも厳しい地域なのです。車で八戸から大間まで約3時間もかかる距離を想像してみてください。そういった所に核の施設が集められているのです。

初日
 6名で14時の新幹線で八戸へ。八戸では八戸市内を中心に営業している南部バス労組の委員長間山さん自ら出迎えてくれ、そのまま労組事務室にて交流・学習会を行い自己紹介・簡単な意見交換をしました。八戸の地で労組として「NAZEN」として登場することは大変なことだと思います。労組の中心どころが反原発・反核燃の旗を揚げた(南部バス労組は昔から反核の運動はしていました。)ことは、青森県の運動に勢いがつくことを確信しました。私の望むところは労働組合と市民グループがともに集会やデモなどを取り組めたら青森県全体の運動は必ず発展すると思います。というようなことを発言しました。
 
 その後、本八戸のホテルまで送ってもらい、書記長(馬場さん)も合流して委員長行きつけの店で八戸の海の幸を囲んで交流会をしました。閉口したのは同宿した人が遅く就寝したのに3時ごろ歌を口ずさみ起きだしたことです。
120617_1059~0001.jpg


翌朝
 到着した東部・北部の仲間・動労水戸・新潟や山口・広島と遠くから駆けつけた仲間・地元の人たちと合流。車3台に分乗し、今度は三沢空港に到着した人たちとも合流、総勢20人を超える大所帯となり、予定を大幅にオーバーしながらも、六ケ所再処理工場、むつ中間貯蔵施設への抗議行動を行いました。

%E4%B8%8B%E9%A2%A8%E5%91%82%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%83%B7%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2.gif
下風呂温泉

 私が毎年横目で見ながら通り過ぎてしまう下風呂温泉の旅館に入り、1日の疲れを温泉で流し、夕食の途中で、片道40分ほどかかる大間町内で原子力資料室沢井さんの学習会に参加しました。ここでは多くのピースサイクルに協力してくれる地元の顔もあり、今年のピースサイクルへの協力をお願いすることが出来ました。参加者は150名を越えそうな人数で、ぼろい集会場の床が落ちるのではないかと主催者は心配したそうです。

 講演の内容は原子力発電の簡単な仕組み、大間原発の危険性を中心にした話でしたが、これは大間町民に分かりやすくした説明と町民が電源開発の恩恵からの脱却を気ずかせる要素を多分に含んだ学習会だったと思いました。また、この集会には多くのピースサイクルに協力をしてくれる地元の顔もあり、協力のお願いをすることができ、私の目的の半分は叶えられました。
120617_1125~0001.jpg


最終日 集会とデモで感じたこと
 旅館を後にして大間原発建設中の様子がわかる丘の上から見下ろしてやはり町に1番近い原発であると感じました。電源開発に抗議行動を行い(アポイントを取ったほうが良かった)集会に参加をしました。特徴的なことは若い年代と私のようなロートルが共に音楽を交え共に集まることが出来る集会です。
 敷地内でがんばっている小笠原さん(あさ子ハウス)とも挨拶することも出来とても良い集会でした。また、大間町では久しぶりになる町内デモを200名(実数は?)で行いました。お年寄りが玄関まで出て手を振ってくれたり、子供たちが窓辺から手を振ってくれたり、反応は3・11から大間でも良くなっていると感じました。デモ終了後、それぞれが思いを持って帰途に着きました。
120617_1136~0001.jpg


核武装を想定している
 私は「わが国の安全保障に資する」との文言を原子力基本法にこっそり入れられてしまったことは、日本が核武装を想定していることだと思うし、野田民主党が再稼動を強行したことは福島の被害者に対する裏切り・切捨てに他ならないことだと思います。
 下北半島・福島のお母さんたちの声を風化させないためにも、東京の地で反原発・反核燃の闘いを今まで以上に盛り上げるしかないと思います。当面、全逓部会(全国交流センター・郵政労働者の集まり)として職場の闘い、新橋アクション(東電直撃デモ)に全力で参加していくべきではないでしょうか。
  橋本記
(本文中の写真は、同行したIさんの提供です。)
ybl.jpg


(大間原発について)
posted by 新橋アクション at 22:56| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。